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食品への異物混入

わざと針混入した人は捕まったそうですが、その前の週くらいまでは、食品に異物が混入してました、というニュースばっかりでした。

TV局とか新聞がもう。ちょっとした混入事件を一生懸命探し出してるんだったらどうかしてる、と思ったりもしますが、多分実際のところは、企業が自主的に発表しまくってるんでしょうね。この状況で事後発覚したら何言われるかわからないし。

ところで、異物混入は感覚的にどこまでだったら許容できるんでしょうかね。

私個人的には、

1)食べたら健康を害するやつ

2)該当ロット全部の見た目とか臭いがやばくなってるやつ

3)該当ロットの見た目とか味とか臭いではわからないやつ

の順番で、3は多分いけます。2以上は大問題ですね。

バイ菌とか気にしだすと、缶コーヒーの缶に口つけて飲めないし、落っこちたウインナーの3秒ルールも適用できなくなってしまいます。

20150117でも気にする人もいるので、「気にするな」とは言わないですよ。ただ、混入したロットで食べられそうなものを捨てるんじゃなくて、格安で売ってくれたら買う人は多分かなり居るはず。もちろん会社としてはそのまま売ると当然色んなとこから攻撃されてよろしくないので、全数検査で細菌チェックとか、あるいは追加殺菌とかやる必要があるでしょうけども。

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視野が狭くなる

昔、「何か主張を聞いたら、その反対意見も聞いてみるべき」と言われたことがあります。実際それは確かで、偏った意見(でもそれなりにスジが通っている)を聞いたとき、「それはおかしいのではないか。自分はこう考える。」と気づけるとは限らず、「そんなもんなんだな」と納得してしまいがちです。それなりにスジが通っていれば納得できるというのは、SF読んだりしたときもそうですね。

でも実際には、ある意見を聞いて一旦は納得しても、その反対意見を聞いたときに「確かにそういう考え方もある」と気づくことが良くあります。その場合、どっちかの論理が間違っている訳ではなく、大前提が違うっぽいです。(具体的には性善説/性悪説のどっちのスタンスをとるか、とか、お金があると心が豊かになる/清楚な生活こそ心が豊かになる、など)。これはでも、片方の意見だけ聞いたらそれなりに納得できるのです。

なので例えば、あるニュースや情報に対して自分がどう感じるか、は可能な限り客観的な情報からのみ判断すべきで、そこにコメンテーターの意見とか恣意的な編集があるとよろしくない訳です。

もちろん、コメンテーターの意見に対しては「この最終回はダメダメ?あなたはそうかもしれないけど俺は超感動したよ」とか「この新製品のお菓子がまずい?俺はおいしかったので単に好みなんじゃないの?」とかいえるわけですが、問題は記事に記者や編集者の意図が入って、情報が既に取捨選択されている場合、気づきにくいという状況があります。そうやってコントロールされるのはなんかいやです。(でも驚くことにアニメとかで「これは見る価値ある?」と人に聞く人もいたりします。そこは「あなたはどう感じた?」とか「お薦めポイントは?」とか聞いた方が、なんか豊かになる感じがしますよ。)

やはり、他人の意見を自分フィルターを通さずそのまま自分の意見とするのはとても恥ずかしいことだと感じてしまいますし、何かしら反対意見を聞いて立ち位置をリセットしないと変な感じになっちゃいます。

TVや新聞だと、それなりに対立した意見を伝えてくれることもありますが、ネットを流れる情報はある程度偏りがちなんではないか?とか感じたりします。同じような意見を出す人が大量に目についたりとかするし。一部の声の大きな人が似たような意見をたくさんリツイートしたりとか、まとめサイトなんかだと編集者と同じ意見だけ文字が大きくなってたりとか。

偏ってない、反対意見を探すのはそれなりに労力を使うので、基本は「ほんとにそうか?」と疑うようにしてます。でも気になって調べるのも結構めんどくさいので、ニュースなどで「ある立場」と「逆の立場」から報道している記事をセットで紹介してくれるサイトとかサービスとかあるといいのですが。ちょっと調べたけど見つかりませんでした。

なんか、めんどくさいとか言ってる時点でダメな感じもします。

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